長崎に原爆が落とされてから67年が経ちました.原爆が投下された11時2分の前に,調布市内に黙祷を案内する市内放送が流れました.私は大学の居室で,静かに黙祷させていただきました.
三年前,長崎に出張した時に,原爆資料館と平和公園を訪れたことがあります ⇒「m-shige's log: 長崎遠征」.誤解を恐れず申し上げれば,広島よりも印象が薄かった長崎.しかし,訪れてみれば,広島と何も違いはないのだということに気付かされました.
明日,来月,来年,その先の未来を思い描いていた軍人でもない一般の人達が,それまでの過去を何も振り返ることもできないまま,一瞬にして消えてしまう.無念に思う時間もなかったに違いありません.なんとか生き残った人達の中には,死ぬよりも苦しい思いをしながら死んでいった人達もいたハズです.この時死んでいった人達が,こんな死に方をしなければならないほど,悪いことをしたというのでしょうか? 世界にどれだけ貢献すれば,人間をこんなふうに殺す権利が得られるというのでしょうか?
3年前の投稿にも書いたように,「人間は,自分が他人をどうにでもできるとわかったとき,この上もなく残虐になれる」 まだまだ自分は未熟ですが,どんな立場にいても,どんな立場の人のことでも,理解できる人間になりたいです.
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