2014年5月10日土曜日

環状移動大出張が終わる

 昨日は金沢香林坊にあるホテルに宿泊し,帰京する前に 「石川護国神社(いしかわごごくじんじゃ)」 を参拝しました.かなり緊張する神社でした.

 金沢に来たときは,お土産に 「不室屋(ふむろや)」「生麩まんじゅう」 を買って帰ることにしているのですが,金沢駅の 「おみやげ館・あじわい館」 がリニューアル工事中ということで,コンコースに移動した仮店舗では冷蔵が必用な生麩まんじゅうは扱っていませんでした.店員さんに相談したところ,駅構内にあるカフェで3個入りパックを買うことができました.次回はリニューアルした店舗で,バラ売りのものを買いたいです.

 一昨日から,「東海道新幹線」⇒「サンダーバード」⇒「はくたか」⇒「上越新幹線」 を使って,東京⇒大阪⇒金沢⇒東京と中部地方の周囲を環状に移動する出張を敢行しました.大阪から金沢の 「サンダーバード」 による行程は,以外に近いと思いましたが,15年ぶりぐらいに「はくたか」を使った今日の行程は,とっても疲れました.でも,田植えの準備のために水を張っている田園風景を見て,心が和みました.山頂に雪が残る緑の山の間を走る鉄道に乗ると,スイスの山岳鉄道を思い出します.

 かなりの強行軍でしたが,いい出張でした.


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第6回Kodatunoオープンセミナ

に参加するために,平成26年5月9日金曜日は,金沢大学角間キャンパスに行って来ました.駅からバスで35分,そこから迷子になって15分,大学は,遠くにあって,広いとこ.どうでもいいことですが.
駅ビルで食べた 「めかぶそば」

「Kodatunoは国産のマルチプラットフォームなオープンソースCAMカーネルを目指し開発中のソフトウェアです。」「本ソフトウェアの開発目的は、NURBS曲線/曲面に対する各種操作、演算関数を各種用意し、CAM開発者がこれら関数を組み合わせることによって、それぞれの目的に即したアプリケーションを構築することが可能となることです。」

 13時から始まったセミナは,Kodatuno とそのAPIの概要説明の後,持ち込んだPCに開発環境をインストールして,早速,サンプルアプリケーションを体験することになりました.非常に良く出来ていると思いました.R社が開発した今は亡き DESIGNBASE を参考にしたということですが,DESIGNBASE で博士論文のプログラムを作成した私は,抵抗なく入ることができました.
 最後に,ちょっとした課題を作成する形で開発作業を体験してみましたが,バリバリプログラミングしていた頃の記憶が呼び戻されるようで,近年にない集中力で作業している自分に驚きました.やっぱり,プログラムは楽しいですね!

 結論を言うと,Kodatsuno は使えると思います.「CAMカーネル」 を目指しているということで,APIやサンプルがCAMの開発に関連するものに整理されていて,無駄がありません.ゼロからCAMの開発を始めようとしている人には,是非,Kodatsuno を試してみることを薦めます.私は,自分が担当している大学院の講義で使えないかと思っています.
 ただ,もう少し使い込んでみないと断言はできませんが,より本格的なカッターパスを計算するような大規模アプリケーションには,ちょっと力不足かなと思いました.どのようなニーズに応えるものなのかを,明確にしていかなければなりません.

 19時からは,香林坊の居酒屋で技術交流会が開催され,金沢の大学や企業のみなさんと楽しく歓談しました.他の研究室の活動内容を体験することができ,大いに刺激になりました.色々と感じたので,少し整理してから,行動に移したいと思います.

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2014年5月9日金曜日

精密工学会総合生産システム専門委員会2013年度総会

に出席するために,平成26年5月8日木曜日は,常翔学園 大阪センターに行ってきました.喫茶店の冷房といい,ウオシュレットの温水といい,大阪の温度はエコではありませんね.どうでもいいことですが.

 14時30分からまった総会は,ちょっとした混乱はあったものの無事に終了しました.2年間委員長を務められた神戸大学のKIHR先生は任期をまっとうされ,新たに京都大学のMTBR先生が委員長に就任されました.KIHR先生の誠実なお人柄そのものの運営,さすがでした.同じ分野で活躍され,お慕い申しているMTBR先生の差配に期待が高まります.

 15時45分からの特別講演会は,NGY大学の特任教授となられた元KNZW大学のUED先生が, 「レーザとボールエンドミルを融合した金属粉末積層造形」 という題目で講演されました.以前から知っていて,自分の生産システム工学の講義でも紹介しているファイバーレーザによる「金属光造形「とマシニングセンタによる「切削加工」を集約した複合加工機に関する内容でした.最近の3Dプリンタブームを考えると,もっと注目されてもいいハズの機械なんですが,ちょっと遺憾です.課題は,レーザ,パウダ,積層パスなど,色々あると思いますが,引き続き,注目していきたいと思います.
 
 17時から始まった懇親会で,この委員会でしかお会いできない皆様と楽しく交流した後,神戸大学のSRS先生のエスコートで,MTBR委員長と3人で梅田の街に繰り出し,よくわからなくなりました.飲んだ後のことを考慮して,馴染みの宿にしておいてよかったです.

2014年5月7日水曜日

石巻・女川復興支援号(4)女川は新しく生まれ変わる

 平成26年5月3日の憲法記念日,私が参加した 「びゅうばす 石巻・女川復興支援号」 のバスは,「おがつ店こ屋街」 を出発した後 ⇒「m-shige's log: 石巻・女川復興支援号(3)おがつ店こ屋街」,14時15分頃 「宮城県女川町」 に到着しました.

 横倒しになった建物が残っている様子などを見て,あまりの被害の大きさに言葉を失いました.この港町では津波による浸水が海抜約20メートルに達したそうです.ビルでは6階ぐらいの高さでしょうか.テレビ中継で写っていた 「町立病院(現地域医療センター)」 は,見上げるような高台にありましたが,この病院の駐車場から津波の様子を見ていた人達を,津波は容赦なく飲み込んでいったそうです.人口1万人のこの町で,800名以上の人が死亡あるいは行方不明となりました.ガイドさんの話を聞きながら周囲を呆然と見ているだけで,結局,写真は一枚も撮ることができませんでした.
 ただ,この女川が他の被災地と違う点があります.それは,新しい町づくりへの動きが目に見えるということです.多数の重機を投入して,市街地緑辺部の山を切り崩し,その土で低地を嵩上げする工事が進められていました.復興まちづくりに関する情報発信と,町民や来町者の交流・懇談の場としてオープンした 「復興まちづくり情報交流館」 で,プロムナードを中心とした新しい女川駅周辺の模型を見て,数年後の女川町をこの目で見てみたいと思いました.今から3年の間に,この女川町を経由して,金華山の 「黄金山神社(こがねやまじんじゃ)」 を参拝したいと思います.

配布された 「女川ガイド」 の表紙に書いてあった(女川の小学生の詩)です.

女川は流されたのではない
新しい女川に生まれ変わるんだ
人々は負けずに待ち続ける
新しい女川に住む喜びを感じるために

女川の町の中では,この詩を涙なしに見ることはできませんでした.まさにこういう気概を,町の人達から感じました.

2014年5月6日火曜日

鰻重を食しに東京タワーへ

 今日は,東京都港区東麻布にあるうなぎ専門店に行って来ました.この店の五代目の方を取り上げたNHKのプロフェッショナルを観た時,鰻に目がない私達夫婦は 「ビビビ」 と来てしまい,いつの日かこの鰻を本店で食べようと思い続けてきました.予約すると別館でしか食べられないみたいなので,予約なしの正攻法で12時半頃お店に到着,30分ほど待ちましたが,希望通り本店で食べることができました.
 色々なコースが用意してありましたが,一番シンプルに鰻が楽しめるとメニューに書いてあった,お通し・志ら焼・鰻重(肝吸,香の物,箸休め付)の 「鰻三楽コース(6,400円)」 をチョイスしました.お通りの 「鰻の煮こごり」「志ら焼」 も見事でしたが,30分ほど待たされて出てきた 「鰻重」 が絶品でありました.食べログのレビュアーの皆さんのように上手く表現できませんが,「お重の中すべてが美味い!」 という感じです.また来たいと思います.

 せっかく東京タワーのふもとに来たのだからと,東京タワーを観光することになりました.途中,いい雰囲気の 「飯倉熊野神社(いいぐらくまのじんじゃ)」 を発見,思わず参拝して,御朱印も頂いておきました.八咫烏の印が印象的な御朱印です.神社との突然の出会いに対応するため,外出時は御朱印帳の携帯が必須です.

 最後に東京タワーの展望台まで登ったのは小学生の時だと思うので,30年以上のご無沙汰となりますか.150mの大展望台まで大人820円という料金は変わりませんが,エレベータではなく,600段の階段を使って登ることもできます.一昨日の山寺参拝で1,000段を登り切った我々夫婦は,もちろん階段をチョイス,次第に高くなっていく展望を楽しみながら,悠々と大展望台に到着しました.
 大展望台からの眺めを堪能した後,大人600円を払って,250mの特別展望台へ.ここからは,さすがに階段という手段は無く,エレベータで登ることになります.東京湾まで望めるなど,さすがに地上250mからの眺めは素晴らしかったですが,周囲に同じぐらいの高さの高層ビルがたくさんあり,この高さで日常的に活動している人がいるのかと思うと,時代の流れを感じました.

 極上の鰻重,ノーマークだった神社,30年ぶりの眺めと,盛りだくさんのゴールデンウィーク2014最終日となりました.被災地である石巻と女川を巡り,山寺を参拝,最後の2日間は仕事もしましたが,とても充実した4日間でした.明日から完全な仕事モードに戻して頑張ります.

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石巻・女川復興支援号(3)おがつ店こ屋街

 平成26年5月3日の憲法記念日,私が参加した 「びゅうばす 石巻・女川復興支援号」 のバスは,「釣石神社(つりいしじんじゃ)」 を出発した後 ⇒「m-shige's log: 石巻・女川復興支援号(2)釣石神社」,昼食のために石巻市雄勝町にある 「おがつ店こ屋街」 に立ち寄りました.

 仮設の 「商店街はプレハブ2階の2棟で構成されており、被災した地元の食品店や海産物店、すし店、自動車整備販売会社、雄勝硯生産販売協同組合など11店舗が入居しています。」 プレハブの2階で海鮮丼をいただきました.量は少なめでしたが,ネタは新鮮で美味しかったです.

 商店街の前には,被災した雄勝総合支所の建物が残されていたそうですが,取り壊されたということです.いわゆる町役場の近くだったということですが,集落の8割が津波で流されたということで,周囲に人家はまったくありませんでした.瓦礫などは片付けられていて,ほとんど目にすることはありませんでしたが,その後に続く新設への動きを確認することはできませんでした.

 結局,私ができることは,海藻類をミルして作ったという 「浜のふりかけ」 と,海に行った時に必ず買っている 「焼ばらのり」 を買うことぐらいでした.しかし,自己弁護になるかもしれませんが,このような場所に来て土産を買うという行為は,決して間違ってはいないと思います.なによりも,被災地を見に来るということが一番大切だと思うのです.

2014年5月5日月曜日

石巻・女川復興支援号(2)釣石神社

 平成26年5月3日の憲法記念日,私が参加した 「びゅうばす 石巻・女川復興支援号」 のバスは,道の駅 「上品の郷(じょうぼんのさと)」 を出発し ⇒「m-shige's log: 石巻・女川復興支援号(1)上品の郷にて」,11時40分頃,石巻市北上町十三浜字追波にある最初の見学地 「釣石神社(つりいしじんじゃ)」 に到着しました.
 崖から突き出た巨石が,幾多の災害でもビクともしないことから受験の神様として有名で,今でも合格祈願に多くの参拝者が訪れるそうです.本当にいつ落ちてもおかしくないように見えます.今回の震災でも,よく落ちなかったものです.

 バスガイドさんの案内で,拝殿への階段を登り始めました.階段の途中に,「津波到達点」 の掲示がありました.こんな高さまで津波が!? 10m前後だったということですが,もっと高いように感じました.
階段の中ほどの左にあるのが「津波到達点」の看板

 津波到達点から,カメラを水平に構えて撮ったのが下の写真です.こんな高さまで水でいっぱいになったのです.周辺の集落は津波にさらわれてしまったということで,今は枯野となっていました.近づいて見てみると,塀や基礎の跡らしきものがなんとか確認できるだけでした.

 この神社も,鳥居や社務所が津波で流されてしまったそうです.プレハブの社務所で御朱印をいただきました.この御朱印は,忘れられない御朱印の一つになりそうです.

 釣石神社を出発し,北上川を渡ってすぐの左正面に,児童74人が死亡・行方不明となる悲劇があった 「大川小学校」 を見ることができました.とても写真を撮る気になれませんでした.橋のたもとの高台は花壇となっていて,綺麗な花が咲いていました.この悲劇については,部外者の私が軽々に意見することは控えたいと思います.

石巻・女川復興支援号(1)上品の郷にて

 平成26年5月3日の憲法記念日,私が参加した 「びゅうばす 石巻・女川復興支援号」 のバスは,定刻の9時35分前に参加者が揃ったということで早めに出発しました.今回は,バスガイドさんに恵まれたと思います.最初の目的地である 「釣石神社(つりいしじんじゃ)」 までの行程の間,ずっと今見えている場所の被災時の様子について説明してくれました.

 津波で倒されたタンクが報道されて知っていた 「キリンビール 仙台工場」,震災当日は工場の2階に500人近くが避難して一夜を明かしたそうです.当時は雪が降っていて,電気もない暗闇の中,本当に大変だったと思います.

 高速道路から,初めて仮設住宅を見ましたが,その小ささに驚きました.仮設住宅は,テレビの報道で何度も見たことがあるのですが,大きさを強調した報道は少なかったのかもしれません.四畳半二部屋が標準ということで,これでは家族全員で暮らすのは大変だろうと思いました.

 そして,三陸自動車道河北インター近くにある道の駅 「上品の郷(じょうぼんのさと)」 でトイレ休憩となりました.そこで津波の被害にあった物を,初めて見ることになりました.

 気仙沼市にある気仙沼国道維持出張所に配備され,国道45号の道路管理のために使用されていて 「道路パトロールカー」 出張所は津波に呑まれ,パトロールカーも約500m山側へ流されたそうです.

 南三陸町で回収された,津波を受けて歪曲した 「案内標識」 津波被害を受けた区域の国道45号の道路標識は,そのほとんどが流出したそうです.

 これらの物が道の駅に展示してあることから,こらから見ることになるであろう内容の重さを覚悟しましたが,それらは私の想像をはるかに超えたものでした.

山寺を参拝

 平成26年5月4日のみどりの日は,夫婦で山形県山形市にある 「宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)」 通称,「山寺(やまでら)」 を参拝しました.

山門前
 私は,20年前の大学院生の時,研究室の先輩方と山寺を訪れたことがあります.3月の平日で雨が降り出しそうな曇りの日に参拝したので,暗くもの寂しいという感じで,いかにも古刹という印象が残っていたのですが,こうして5月の連休中の晴天の日に来てみると,ものすごい人混みとエネルギッシュな青葉に圧倒されてしまいました.やっぱり,お寺は静かゆっくりと参拝するのが一番ですね.ま,私も人混みの中の一人なので,文句を言ってはいけませんが.

 登山口から一番上の奥の院まで約1,000段,一だん二だんと登ることによって煩悩が消滅するということなので,一だんもとばさないように,しっかりと登っていきました(正直なところ,一段とばしする元気はありませんでしたが…) 途中の渋滞がほどよい休憩となり,想像していたよりも楽に奥の院まで登ることができました.
左が大仏殿,右が奥の院ともいわれる如法堂
修行の岩場
 前回は,山寺のことをよく知らずに,とにかく登って降りたという感じでしたが,今回は8箇所の寺社で9つの御朱印をもらうなど,色々なところに目を向けながら参拝することができました.特に五大堂からの眺めは見事でした.
五大堂からの山寺駅方向を望む
御本尊は薬師如来です

 やはり自分の観光は,同じ所に2回以上行かないと記憶として定着しないようです.20年前には存在しなかったデジカメがメモ代わりとなって,こうして後から復習できるようになったことも大きいと思います.1箇所1御朱印のマイ・ルールに従って,今回は入手しなかった 「性相院(しょうそういん)」「毘沙門天」 の御朱印をもらうために,もう一度参拝したいと思います.
山寺駅近くの蕎麦屋で食べた冷たい鶏らーめん

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2014年5月4日日曜日

「石巻・女川復興支援号」に参加

 平成26年5月3日の憲法記念日は,夫婦で 「びゅうばす 石巻・女川復興支援号」 というバスツアーに参加しました.「復興に向けて奮闘するお店を巡り、奇跡の石に願いをかけよう。」 というコピーにあるとおり,2011年3月11日の東日本大震災で津波の被害を受けた被災地にある仮設商店街や神社を巡るというものです.

 震災から既に3年が経ち,仙台までは2回ほど行く機会はありましたが,津波による被害を受けた地域を見たことがありませんでした.いまさら被災地を見に行っても,被害の様子を知ることができるのだろうかと考えたりもしましたが,やはり一度は見に行かなくてはならないと,ずっと思っていました.

 いまさら見に行ってもという考えは,見たこともない私が都合よく考えた愚かな誤解でした.震災は続いています.壊れたものを片付けただけで,新しいものは何もできていないのです.今,自分が見ている場所で,何十人,何百人,何千人という人達が,苦しみながら死んでいったのかと思うと,何とも言えない気持ちになってしまい,泣くことをこらえるのが大変でした.

 正直,我々のように観光にくる人間を,被災地の人達はどう思っているのか心配でしたが,「来てくれるだけで,本当にありがたいのです」 という言葉を聞いて,心の底から救われたような気がしました.自己弁護のようになるかもしれませんが,楽しむことだけが目的だったら,行くところは他にたくさんありました.でも,今回のツアーに参加したことは,間違いなく正しかったと思います.

 まだ,被災地を自分の目で見たことがないという皆さん,是非,その足で被災地を訪れて,その目で被災地を見て下さい.私は,今回訪問した被災地を,何年後かに必ず再訪したいと思います.

 今回のツアーの内容については,明日から何回かに分けて投稿していきたいと思います.