平成29年9月10日(日)はサイパン旅行の三日目,「サイパン島内観光&ショッピングツアー 歴史・戦跡コース」 に参加しました.朝から雨が降っていましたが,ツアーの内容には問題ありませんでした.
1)バンザイクリフ(プンタン・サバネタ)
サイパン島北端のサバネタ岬とラグア・カタン岬の間の断崖.太平洋戦争末期,追い詰められた日本人が 「バンザイ」 と叫びながら身を投げたことから 「バンザイ岬(クリフ)」 と呼ばれるようになりました.
この岬が1000を超える死体でいっぱいになったということですが,現在の綺麗な岬の様子からは想像することができませんでした.戦争と平和の大きなギャップを痛感しました.
2)ラスト・コマンドポスト(バナデロ)
マッピ山の崖下にある戦跡.太平洋戦争時の日本軍の砲台や戦車が残されており,「日本軍最後の司令部」 と言われているトーチカがあります.トーチカの内部を見学しましたが,両側面には直撃弾が貫通した穴があり,穴の向こうの光が印象的でした.
敷地内には,日本政府によって建てられた 「中部太平洋戦没者の碑」 があります.他にも,沖縄や韓国の犠牲者のための慰霊碑があり,軍人以外の人が犠牲になったことを伝えていました.
3)スーサイドクリフ(ラデラン・バナデロ)
標高249メートルのマッピ山は,南側のなだらかな斜面とは対象的に,北側は切り立った断崖となっています.太平洋戦争末期,南から攻めてきた米軍に追い詰められた多くの日本兵がこの断崖から飛び降りて命を断ちました.バンザイクリフ同様,戦争の悲惨な歴史が残る場所です.
以上で戦跡が集中しているサイパン北部を後にして,バスはガラパンに移動しました.
4)シュガーキングパーク(砂糖王公園)
サイパン島日本統治時代,さとうきび栽培を基にした 「製糖業」 で成功した 「松江春次(砂糖王)」 の銅像がある公園.園内には,昭和60年に再建された 「彩帆香取神社」 がありました.
神社に掲示してある当時の街の地図を見ると,沖縄から移住してきた人達を中心にして,賑やかな日本人街が運営されていたことがよく分かります.そんな街も戦争で壊滅してしまい,今では当時の様子を知ることはできません.
シュガーキングパーク見学後,T-ギャラリアにて解散となりました.ランチにしようと,目標としていたチャモロ料理の店に行ってみたところ,日曜日は夜だけといことで閉まっていました.とほほ.モリシゲ,三日間の不覚...orz
しかたなく,アカデミー賞受賞映画 『フォレスト・ガンプ』 をテーマにしたアメリカン・シーフードレストランでシュリンプを大量にいただきました.
食後,腹ごなしを兼ねて東の 「American Memorial Park(アメリカ記念公園)」 の方に歩いていきました.園内では大量のアメリカ国旗を設置する作業が行われていました.この時は,何かお祭りでもあるのだろうかと思いましたが,翌日,これは9.11のためのものであったことに気が付きました.16年前の当時,ハワイで残留邦人になった身としては ⇒「m-shige's log: ハワイ残留邦人の思い出」,9.11のことをすっかり忘れてサイパンに居た自分に絶望するばかりです.
妻の提案で,バスでホテルまで移動する途中に海側に見えていた人工的な小山に行ってみることになりました.今日のガイドの人の話では,前のゴミ集積場で,いっぱいになったので公園に整備され,今は街の人の憩いの散歩コースになっているとのことでした.アメリカ記念公園から30分ほど歩いて 「PEACE PARK」 の山頂?に到着,360度の眺望で,沖には前日に遊びまくったマニャガハ島が見えました.
「PEACE PARK」 を下山?して記念公園に戻り,ビジターセンターを見学しました.入場してすぐに,記録映画を観せてもらえました.見たことのない映像もあり,大変勉強になりました.展示も,写真や資料の他に音声による説明もあり,とても工夫されていました.戦争当時の現地の人の日本人に対する気持ちが様々で,色々と考えさせられました.
ガラパンの街で土産物を買い込んでホテルに戻り,夜は 「アロマテラピー」 を希望した妻に付き合って,「ARCヘルススパ」 で 「リフレックス(つぼ)マッサージ」 を受診しました.「Rock(岩)」 とか 「Solid(つまってる)」 とか言われてしまいました.どうやら,私の身体が硬いという評価は万国共通のようです.
長文で物語るように,大変充実した一日でした.
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