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2015年12月13日日曜日

結婚11周年記念祝賀会

 平成27年12月12日土曜日は,11回目の結婚記念日でした.結婚披露宴をした帝国ホテルのタワー地下1階にあるトラディショナルダイニング 「ラ ブラスリー」 で,「シェフ 八坂の旬菜メニュー」 のディナーを楽しみました.フランス料理のメニューは,よくわからない単語でいっぱい,これまでは適当に解釈してスルーしてきました.今回は,納得いくまで調べてみることにしました.

(冷前菜)
ライムを香らせた蟹と林檎のサラダ仕立て

『寒さが増すと味わいも増すと言われるズワイ蟹と酸味が強い林檎をサラダに仕立てた一皿です。食感の変化をお楽しみいただく為に蕪を添えて、ライムの風味をアクセントに加えました。』

(温前菜)
トゥール地方の郷土料理豚肉のコンフィ“リヨン”と
アンディーヴのカラメリゼ コリアンダー風味

「トゥール地方」 は,フランスの北西部らしい.「アンティーブ」 は,キク科の一年草で,秋冬の野菜の象徴とのこと.「コリアンダー」 は,セリ科の一年草.冬の訪れを感じられる一皿.

(魚料理)
鮟鱇のポワレと鮟肝のコンフィに
ビーツのラメールとコンテチーズを添え

「ポワレ」 は蒸し焼きで,「コンフィ」 は肉をその脂肪で煮たもの.赤かぶのように見えるのが 「ビーツ」 で,地中海沿岸地方原産のアカザ科のサトウダイコンの変種,寒くなると糖分を蓄え旬を迎える.「ラメール」 って,何でしょう? 「コンテチーズ」 は,フランスのハードタイプチーズ.

(肉料理)
鶉 フォワグラ キャベツのパイ包み焼き
秋トリュフを香らせたジュと共に

メインディッシュは,デリケートな肉質の鴨と濃厚なフォアグラをパイ包み焼きにした一品.秋の象徴であるトリュフをソースに使用.「ジュ(jus)」 は肉汁,近年の料理に盛んに使われるだし汁の一種.
『かつてのフォンテンブローで 「スー・ラ・サンドル」 としてメニューに存在し、帝国ホテルの名物料理をアレンジした一皿です。』 「フォンテンブロー」 は,フランス中北部の都市.パリの南東方,もと王室の狩猟場であったフォンテンブローの森の中央に位置する.16世紀建造のフォンテンブロー宮殿がある.「スー・ラ・サンドル」 は,灰焼きの技法らしい.

(デザート)
マンゴーを添えたヌガーグラッセ

アーモンド,ヘーゼルナッツを使用した冷菓 「ヌガーグラッセ」.『秋の木の実の濃厚な風味にマンゴーの酸味を足し、味わい深くさっぱりとお召し上がりいただきます。』

 勉強しながら,フランス料理は食材にこだわった料理だということがよくわかりました.前菜からデザートまで,目の前の素晴らしい料理について語り合いながら,2時間半の会食を堪能しました.どんなに豪華な宴会よりも,妻との会食の方が楽しいです.これからも,幸せな結婚記念日を重ねていきたいものです.

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2015年11月8日日曜日

池田探訪

 平成27年11月7日土曜日は,インスタントラーメン発祥の地・大阪府池田市を探訪しました.主目的は,阪急池田駅から徒歩10分くらいのところにある 「インスタントラーメン発明記念館」 の見学でした.

 私は,日清食品創業者である 「安藤百福(あんどうももふく)」 氏を尊敬しています.いや,「尊敬」 ということばを超えて,もはや 「敬愛」 という気持ちに近いと思います.前日,「大阪企業家ミュージアム」 を見学した時,安藤百福氏のブースの前に立った瞬間,思わず泣きそうになりました.ある日の日記のような投稿に,安藤百福氏への思いを埋もれさせるわけにはいかないので,後日の投稿で何回かに分けて述べたいと思います.

 まず,心を落ち着かせるために,阪急池田駅から記念館とは反対方向に数分歩いた場所に鎮座する 「呉服神社(くれはじんじゃ)」 を参拝しました.「呉服」 は,「ごふく」 ではなく,「くれは」 と読むことを現地で知りました.モリシゲ,一週間の不覚... orz 呉の国から渡来し,日本に織物や染色の技術を伝えたとされる 「呉織(くれはとり)」 を祀った神社.通称は 「下の宮」 さん.今回も,身内のことを祈念しました.

 そして180度回頭し,悲願としてきた 「インスタントラーメン発明記念館」 に進撃.入場は9時半からだと思っていたのですが,団体の見学に対応するために早めに開門していたらしく,10分前の9時20分に入場できました.

 安藤百福氏の研究小屋が再現されている 「チキンラーメン誕生」 のコーナーから,「安藤百福とインスタントラーメン物語」 のコーナーへ進みながら,安藤百福氏の足跡と,インスタントラーメンの歴史や変遷などについてじっくり勉強.特に,知的財産のコーナーでは詳しくは知らなかった情報が多く,安藤氏の考え方や取り組みに大いに感銘を受けました.

 カップを自由にデザインして,スープを選び,お好みの具材をトッピング,オリジナルの 「カップヌードル」 を作れる 「マイカップヌードルファクトリー」 では,前夜の練習の成果をいかんなく発揮(?),まあまあの出来のイラストを転写することが出来たと思います.自分が考えた構成のカップヌードルが,フタをされたり,シュリンク包装されたりしていく様子を見て,ワクワクしました.

 その場で喫食できる 「テイスティングルーム」 では,スタンダードなしょうゆ味を食べるつもりだったのに,10月5日に新発売ということばに踊らされ,「パンプキンポタージュヌードル」 なるものをチョイスしてしまった... モリシゲ,一日の不覚...orz 「かぼちゃの甘みあるスープにチーズのコクを利かせ、濃厚に仕上げました。具材はかぼちゃに加え、チュダーチーズ、ニンジン、キャベツをトッピングしました。」 うーむ,ハロウィン狙いなのかなあ? 不味くはないんですけどね...

 入口方向に戻りながら,これまでに販売されたインスタントラーメンのラインナップが展示されている 「インスタントラーメン・トンネル」 を見学.子供の頃に食べたパッケージを見付けて,懐かしく思うと同時に,インスタントラーメンが日常のものであったことを実感しました.

 2時間程度と,予定よりも早く記念館の見学が終わったので,池田駅から北へ歩いて20分以上の丘に鎮座する 「伊居太神社(いけだじんじゃ)」 を参拝することにしました.「伊居太」 を,「いけだ」 ではなく,「いいだ」 と読んでしまったのは,仕方のないことですよね?  最初に参拝した 「呉服神社」 と対をなし,「穴織(あやはとり)」 を祀った神社.通称は 「上の宮」 さん.池田市に現存する最古の神社ということですが,圧倒的な幻想感.宮司さんが不在で,御朱印はいただけませんでしたが,参拝してよかったです.

 まだ時間があったので,途中に天守らしきものが見えていた 「池田城跡公園」 に立ち寄りました.長い階段が続いて,ちょっとしたハイキングみたいになってしまいましたが(笑) 小高い丘の上から池田の住宅街を望むことが出来ました.

 駅に戻って,カフェで休憩した後,13時過ぎには池田の街を後にしました.池田は,良い意味で大阪らしく,庶民的で良い街ですね.知らない街の普段の様子を見てまわるだけでも,十分に楽しく思いました.思い出に残る,良い旅行となりました.次の街も楽しみです.

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2014年8月18日月曜日

生まれた年のLIFEと出会う

 平成26年8月17日の午後は,妻の実家を訪れました.食事の後,お茶を飲んでいる時,お義父さんから「功一さんは,1969年生まれだよね.1969年の一番のニュースと言えば?」 という問いかけに,私が 「アポロの月面着陸ですかね」 と答えたところ,「正解.1969年生まれの君にプレゼント」 と,「LIFE Vol.47 No.4 AUGUST 18・1969」 をいただいてしまいました.
 「ON THE MOON Footprints and photographs by Neil Armstrong and Edwin Aldrin」 表紙の写真は,月から離れる司令船から撮影したと思われる月面に残された星条旗です.
 「LIFE(ライフ)」 は,アメリカで発行されている写真による誌面を中心とした雑誌です.「第二次世界大戦前から戦後復興期、テレビの本格普及前までが黄金期で、アメリカの思想・政治・外交を世界に魅力的に伝える媒体」 でした.先日,「宇宙博2014」 を見学した時に ⇒「m-shige's log: 宇宙博2014 NASA・JAXAの挑戦」,NASAのブースに当時の LIFE がたくさん展示してありました.そのうちの一冊が,今,私の目の前にあります.

 確かに,見たことのある写真は多いのですが,この雑誌からは,アポロの月面着陸に熱狂している世界の様子が伝わってきます.何よりも,自分が生まれた年に発行された雑誌を,45歳の私が読んでいることが,夢のような奇跡です.

 貴重な雑誌を譲ってくれたお義父さんには,感謝という言葉では言い尽くせないほど,感謝の気持ちでいっぱいです.この雑誌は,森重家の家宝とさせていただきます.そして,私の宇宙熱に,再び火が付いてしまいました.今後の自分の行動が心配です.

2013年10月8日火曜日

神社仏閣を巡る

 2012年6月26日,虎ノ門駅の近くにある金刀比羅宮を皮切りに,神社仏閣を巡りながら,御朱印を集めるようになりました.きっかけは極めて単純です.書店で御朱印に関する本を見付け,何気なく開いてみたところ,紹介されている御朱印のあまりの素晴らしさに「ビビビ!」ときました.手当たり次第にというのはどうかと思いましたが,好きなお寺や神社の御朱印だったら集めてみたいと思い,早速,御朱印帳を入手して,神社仏閣巡りを始めてみたというわけです.

 そのうち,週末にガイドブックを片手に都内や鎌倉の神社仏閣を巡ることが,何よりの楽しみになりました.地方へ出張した時にも,目的地の近くにある神社を参拝したりするなどしているうちに,これまでに参拝した寺や神社が200近くになりました.結果的に当初の思惑からは外れ,完全に手当たり次第の参拝となってしまいましたが(笑)中でも,2012年12月に広島へ出張した時に参拝した厳島神社と,2013年3月に夫婦で参拝した伊勢神宮は,特に強く印象に残っています.

 今になって振り返ると,自分は子供の頃から,神社仏閣が好きだったような気がします.はっきりと自覚してはいませんでしたが,旅行などで自分が撮った写真は,なぜかお寺や神社の写真が多かったですし,一緒に行った友人からは,「お前は,いつも寺ばかり行きたがる…」 などと言われ,呆れられていたことを思い出しました(笑)

 日常的にも,神仏と向き合うようになりました.職場である電気通信大学の近くにある布多天神社には,毎月一日に「朔日(ついたち)参り」をすることにしています.今では,外出から戻るときなど機会を見つけては積極的に参拝し,これまでのお礼や,ささやかなお願いをするようになりました.元旦の初詣をはじめ,節分祭,夏越大祓式・茅の輪神事,七夕祭,新嘗祭など,神社で催される行事の様子を眺めながら境内にたたずんでいると,季節が通り過ぎてゆくことを実感します.

 数多く,何回も神仏と向き合うようになってから,自分の気持ちにも変化が起こりました.もやもやした気分の時,拝殿に向かい,きちんとお参りをすると,頭の中が整理されて,すっきりするような気がします.そのうち,参拝を通して,自分自身を客観視するようになりました.悪いことは自分の責任,良いことはおかげさま.自分の行動に対して,客観的な目線で,自分自身で評価できるようになりたい.境内,仏閣,仏像,御朱印,そして,それぞれの神社仏閣に関係する人々.神社仏閣巡りを通しての様々な出会いは,自分の気持ちのマイルストーンだと思うようになりました.

 こんなことを書いていると,なんだか危ない人みたいに思われるかもしれませんが,私は極めて正気です(笑) むしろ,精神的には非常に良好な状態になってきたと感じています.…書けば書くほど誤解されそうなので,ここまでにしますが,これからも,新しい出会いを求めて,神社仏閣を巡り続けたいと思っています.

2013年8月7日水曜日

1945年8月6日 - ヒロシマは語りつづける

 私は,気に入った本を思い出しては,何度も読むのが好きなのですが,この時期になると必ず読みたくなる本があります.岩波ジュニア新書 156 「1945年8月6日 - ヒロシマは語りつづける」 著者の 伊東 壮 氏は,経済学者であり,平和運動家,広島一中三年のとき学徒動員中に工場で被爆し,軽度ではありましたが急性放射能症にかかったという被爆者です.核兵器廃絶運動に積極的に関わり,昭和56年から日本原水爆被害者団体協議会の代表委員を務められました.私がこの本を購入した2000年に亡くなっていたのですね.なんだか,不思議な縁を感じます.
 「また,ジュニア新書ですか?」 などと,侮ってはいけません.岩波ジュニア新書は,確かに,中学生・高校生を主な読者対象としたシリーズですが,啓蒙書として一般人でも読めるものが多いのです.難しい本を読み始めて,途中で投げ出すよりも,一冊の本を完読して,体系的な知識として取り込んだ方が,よっぽどマシだと思います.そういう意味では,この本は原爆に関する入門書としては最適だと思います.

 ある日,著者はアメリカのコロンビア大学で原爆の話をしました.公演の質問の中に,「核が戦争を抑止してきたのでは」というものがありました.著者は答えました.「戦後四三年間、世界のどこかで戦争が起きてきた。世界で戦争をしなかった国は、世界一六九か国のうち、日本をはじめほんのほんの七~八か国にすぎない。かつて、アメリカが核兵器を独占していれば世界は平和だとチャーチルはのべたが、その独占時代でも戦争は起きている。核をもったアメリカ自身、核のないベトナムをおさええなかったではないか。核の均衡が世界の核戦争を防いでいるというのなら、戦後史をふりかえってみればよい。朝鮮戦争、キューバ危機などで、核戦争に発展する危険性が生まれたとき、結局、民衆の世論の高まりが、指導者たちに核使用をあきらめさせたのである。それは、核戦争を拒否する民衆の力を指導者たちが無視できなかったからだ。日本はかつてすごい軍備を持っていた時代があった。その時代は、戦後の日本とくらべて国民の生命は安全だったといえるだろうか。残念ながら、その軍備のために、国民の生命も失われたし、よその国の人びとの生命も奪った。軍備だけが国民への安全を保障するというのは、虚妄ではないのか。

 虚妄ではないのか.「虚妄(きょもう)」 という言葉は,私の口癖なのですが,それはこの文章の影響なのです.第1刷発行から20年以上経った今でも,この本の内容が錆びませんが,逆に,20年前の核兵器の状態から,大きな変化は無いということなのかも知れません.

2013年6月7日金曜日

「三鷹光器㈱」を見る

「たまの力 ~多摩ブルー・グリーン倶楽部会員企業のNEXT STAGE~」 の取材のために,平成25年6月6日(木)の午前は,東京都三鷹市にある  「三鷹光器株式会社」  を訪問しました.以下,「である」調で書かせていただきます.

 三鷹光器株式会社は,1966年(昭和41年)に創立して以来,常に創造と信頼をテーマに歩み続けてきた.創業以来,宇宙観測機器の設計製作において培い続けてきた技術力を生かして開発された,高精度天体望遠鏡,光学測定装置,医療機器等の機器は,各界のユーザーに高く評価されている.

 創業以来,宇宙観測機器の分野で文部省宇宙科学研究所の観測プロジェクトに参加するなど,X線天文学分野における貢献度は極めて大きい.1983年(昭和58年)には,宇宙科学研究所のSEPAC計画に参加,大手テレビ製造企業を押さえ,アメリカ航空宇宙局(NASA)は三鷹光器の特殊カメラをスペースシャトル・コロンビアに搭載することを決めた.最近では,2007年に打ち上げられた宇宙航空研究開発機構 (JAXA)の月周回衛星「かぐや」に搭載された超高層大気プラズマイメージャーとプラズマ観測装置観測機器の製作に携わった.
スペースシャトル・コロンビアに搭載された高感度カメラ

 宇宙開発機器の技術を産業界に応用して,各業界の原器になったとも言える精密機器を製作してきた.中でも,レーザオートフォーカスを用いた非接触三次元測定装置は,国内の半導体産業や超精密加工分野に広く普及しており,日本の測定技術として 「ISO-25178(三次元形状・表面の粗さの国際規格)」 に 「ポイントオートフォーカス法」 と命名され,登録されている.
学会で知らない人はいない「非接触測定機器」

 1988年(昭和63年)からは医療機器業界にも進出しており,手術用顕微鏡や手術支援装置など付加価値の高い優れた製品を提供している.デットスペースであるドクターの背後から顕微鏡が来るオーバーヘットポジションスタンドを開発.ワンタッチでバランスをとるオートバランスシステムや,3秒でランプを交換出来るダブルキセノン等も開発.ライカマイクロシステムズとの提携も実現し,世界に向けて販売を展開している.2005年(平成17年)には,「フローレッセンス顕微鏡」 を開発.これまで見えなかった実像としての腫瘍と健常部位との境界を,蛍光物質で腫瘍を光らせることにより,腫瘍との境界を把握しがら手術できるようになった.採り残しのない癌手術の可能性に朗報をもたらしている.
手術用顕微鏡の試作機だそうです.
驚くほど軽く,片手でも操作することができる.
右がハイビジョン立体視ビューアー
ライカマイクロシステムズへ供給される手術用顕微鏡

 多数の鏡を放射状に並べて太陽光線を一点に集め,強力なエネルギーを作り出す 「ビームダウン式太陽熱集光装置」 と,これを利用した 「海水淡水化装置・外燃式発電装置」 を考案,太陽熱による新エネルギーの実験を進めている.2012年(平成24年)に宮崎大学に設置された装置は,ビームダウン式としては国内最大級であり,世界最高レベルの集光度を誇る.この装置で高密度に集光された太陽光を熱に転換することで高温が得られることから,太陽炉で太陽電池の原料となる金属シリコンを製造する研究や,太陽熱による水素製造に関する新潟大学との共同研究などが計画されている.

600平方ミリメートルの範囲を10ナノメートルの精度で測定できる

よく手入れされた汎用機が整然と並ぶ機械加工場

 これからの三鷹光器は,三本立てでやっていくとのこと.基本は天文機器であるが,①三次元測定器は,これからは世界展開を目指す.②医療機器は,「見えない世界から見える世界へ」三鷹光器の新しき3Dビジョンを伸ばしていく.③エネルギー関係は,太陽熱を利用したマグネシウム燃料電池の製造,そして,それを利用した太陽熱蓄熱システムによる環境にやさしいビニールハウスなど,近代的な農業の実現を目指すということだ.

2013年5月28日火曜日

「東成エレクトロビーム㈱」を見る

「たまの力 ~多摩ブルー・グリーン倶楽部会員企業のNEXT STAGE~」 の取材のために,平成25年5月27日(月)の午前は,東京都西多摩郡瑞穂町にある 「東成エレクトロビーム株式会社」 を訪問しました.以下,「である」調で書かせていただきます.


  東成エレクトロビーム㈱は,電子ビームの将来性に早くから着目し,他に先駆けて電子ビーム溶接のジョブショップとして1977年(昭和52年)に創業.以来,電子ビーム・レーザ加工の 「日本最大のジョブショップ」 として,研究開発・試作から量産まで,幅広く対応している.
  電子ビームとは,電子をビーム状に収束・加速して得られる粒子線である.電子銃の中の陰極フィラメントを真空中で加熱すると,熱電子が連続的に放出される.この熱電子が,電子銃の陰極と陽極の間にかけられた高電圧による強力な電場で加速され,ビーム(電子の流れの束)となる.この電子ビームを電磁的なレンズで絞り込み,溶接部へ照射すると,極めて短時間で電子の運動エネルギーが熱エネルギーに変換され,この発熱により材料の金属が溶融し,溶接が行われる.
  電子ビーム加工は,従来の加工法と比較して,エネルギー密度が非常に高く,熱が影響する範囲を最小限に抑えることが出来るため,細く深い溶けこみ形状が得ることができる.そのため,綺麗で歪みのない強力な接合が可能となり,従来の加工方法では不可能であった異種金属間接合,超微細加工(穴あけ加工,溝加工,切断加工等),高強度接合,高精度加工を実現するとともに,工程短縮,コスト削減,環境負荷低減等の目的にも大きく寄与している.
  東成エレクトロビームでは,航空宇宙関連の高信頼性部品や,特殊車両向けの高精度部品,その他高品質が要求される溶接加工に,電子ビーム及びレーザ加工技術を活用して,あらゆる業種の様々な技術的課題の解決に取り組んできた.電子ビーム・レーザの技術を,様々な素材の加工に適用し,ユーザーからの多種多様な要求に合わせて使いこなしてきた経験とノウハウが,東成エレクトロビームの大きな強みとなっている.
  2014年(平成26年)に打ち上げ予定となっている小惑星探査機 「はやぶさ2」 のプロジェクトにも協力している.このプロジェクトのハイライトとなるのは,搭載された衝突装置で,小惑星の表面に人工クレーターを作るというタスクである.衝突装置は,じょうごのような形をしたステンレス製の構造体の中に爆薬を詰め,銅製の円板でフタをしたような作りとなっている.探査機本体が小惑星の陰に隠れている間に爆薬に点火し,銅板を秒速約2キロメートルで小惑星の表面に衝突させて,表面を掘り返す.この衝突装置の,直径30㎝の銅板を,ぐるりと一周にわたって,一様な強度で,異種金属であるステンレスと溶接するという,プロジェクトの成否を握る難しい接合を任されているのが,東成エレクトロビームである.東成エレクトロビームが携わった部品が,様々なステージで極限に挑む.
  コーポレートステートメントとして,「Keep moving forward!!」 を掲げているが,これは,「常に変化し進歩を続けよう」 という意志を表明したものである.現在は,試作技術から量産技術に移行しなければならないという課題に直面しているが,変えてはいけないものと,変えなくてはいけないものがある.常に最新の設備に触れ続け,アプリケーションの提案力に磨きをかけ続ける.そして,試作技術にこだわってはいけない.

  「くっつけるのが好き」 という代表取締役社長の上野邦香さんは,やりたいこと,やらなければならないことを公言することによって,自分を追い込むことを日常としているという,とにかくストイックな方であった.「Next Stage」 として,今後の抱負を伺ってみたところ,まず,部品などででも自社ブランドを持って,メーカーになりたいということであった.これからの時代は,変化の予兆をつかむセンシング技術に活路があると見ている.実際,2025年までに,体内に埋め込んで血液の成分などをモニタリングする 「使い捨て生体検査センサ」 を,OEMメーカーとして量産したいそうだ.また,自身が惚れ込んでいる電子ビーム加工を徹底的にサポートするために,電子ビーム加工機そのものの自社開発にも,果敢に挑もうとしている.近い未来,「使い捨て生体検査センサ」「東成製電子ビーム加工機」 が,マーケットの新風となるであろう.←これを,プレッシャーにしてください(笑)

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2013年5月26日日曜日

「高千穂精機㈱」を見る

「たまの力 ~多摩ブルー・グリーン倶楽部会員企業のNEXT STAGE~」 の取材のために,平成25年5月24日(金)の午後は,京都八王子市北野町にある 「高千穂精機株式会社」 の八王子本社ビルを訪問しました.以下,「である」調で書かせていただきます

  高千穂精機㈱は,1959年(昭和34年)の創業以来,試験と計測のための専門商社として,主に国内の官公庁・大学・民間企業の研究開発部門に対する,機器及びシステムの販売を生業としてきた.取り扱っている製品は,光学測定機器,材料試験機,環境試験機,電子計測器,非破壊検査機,形状寸法測定器,真空機器・装置,自動車関連試験機器,変換機,センサなど実に多用であり,現在の取引先は4,000を超えている.
入口のロビーに展示してあるスバル360は,社員教育の一環で,電気自動車化されたもの.
  既存の製品を仕入れて販売するだけでは,他の商社との厳しい競争を勝ち抜くことは出来ない.そこで,ユーザーからの多種多様かつ高度なニーズに対応できるように,製品開発を担当するテクノセンターを社内に設置するなど,「販売だけの商社」 から 「想像する商社」 への変身を図ってきた.
 2010年(平成22年)に多摩ブルー賞を受賞した 「超小型多目的全粒製粉装置」 は,素材本来の成分や風味,食感を損なうことなく,素材の100%を食料に転換するために,「美味しく食べる」 ことを追求して開発した製粉機である.古来より使われてきた 「石臼製粉方式」 に,保有している特許技術を大胆に取り入れ,挑戦的な製粉機を開発することに成功した.
 店舗用として開発した小型の製粉装置は,高い性能ながら静音であり,現在店頭で使われているパン・蕎麦・ラーメン屋などに限らず,お茶・薬草・香辛料・豆類などの様々な分野で,挽きたて全粒粉を使用した安全かつ特徴のある商品を提供するために貢献するであろう.現在では,食品会社や外食産業,生産農家が自ら製粉することによって付加価値を高めた製品を提供できるように量産型の中規模製粉機モデルも開発しており,既に販売を開始している.
  上の写真は,左から 「小型製粉装置」「自動製麺機」「十割そば用ミキサー」 で構成された,「高千穂式低温製粉 3点セット」 である.開発した製粉装置は,機械式であるにもかかわらず製品の温度を上げることはなく,石臼の10倍の速さでそば粉が挽くことが出来る.全粒粉で挽きたてのそば粉の香りは最高だそうである.個人的に一番驚いたのは,十割のそば粉を自動で捏ねるミキサーである.私は蕎麦にはうるさい方で,どんなに蕎麦を作る工程の自動化が進んでも,そば粉に水を足して捏ねる工程だけは自動化できないと思っていた.しかし,その工程を自動化する装置が現実に存在して,それを使って作られた十割蕎麦は,試食などでも好評であるとのこと.今回は突然の訪問ということで試食することが出来なかったが,機会があれば是非,ご相伴させていただきたい.

 個別包装の製品が主流となっている現在,密封性を必要とするパッケージに漏れがないか確認する検査は,品質保証のために不可欠である.しかしながら,そのような 「リーク検査」 は,人による目視検査や官能検査が主流であり,個人差や誤判定が生じやすく,品質保証や安全性の面で問題となっている.
 高千穂精機が,「ほんの少しお役に立ちたい」 という気持ちで開発したという 「パッケージ リークテスター」 は,検査時に製品にダメージを与えることなく,好感度かつ高速なリーク検査を可能にする.製品の形状や生産量などに応じて,専用のラインを提供することもできる.
 2011年(平成23年),2年連続での多摩ブルー賞の対象となった 「GLT-8000ナイト」 は,特許取得済みである 「連続気体分析方式」 を採用したリークテスターである.気体の中でも非常に小さな原子であるヘリウムガスを数パーセント封入した後,シール不良やピンホールが存在する製品から漏れ出すヘリウムガスを瞬時に検出して合否を判定する.検出部の範囲内であれば,製品の大きさや形状を選ぶことなく,ベルトコンベアで検査部に製品を通過させるだけで,全数検査をすることが出来る.高千穂精機のオリジナル装置として開発されたモデルであり,今までにない検査装置となっている.

 下の写真は,「連続気体分析方式」 の前に開発した,「圧力検出方式」 のリークテスターである.個別の検査容器に製品を入れ,任意の設定圧力まで吸引あるいは加圧した時に容器内に生じる圧力変動を計測することによって,合否を判定する.

 高千穂精機の強みは,ユーザーとメーカーの間に入っている商社という立場を生かして,50年来の活動で積み重ねてきた,4,000社以上の取引先や,700~800社におよぶ仕入先メーカーとの信頼関係である.取引先との付き合いによって,ユーザー側のニーズを吸い上げ,得られた情報を取捨選択し,取引先メーカーと協力して装置を組み上げ,製品化を進める.ライバルになる可能性のあるメーカーとは,本来は相容れない存在なのかもしれないが,仕事を面白がってくれるメーカーを巻き込んで,お互いにいいとこ取りをしていきたい.
 今後,技術的な裏付けの出来ない商社は生き残っていけない.それが出来る商社としての強みを生かし,メーカーと商社の機能を補完しあいながらやっていく.情報に対する感度,アンテナは常に高くしておかなければならない.そして,ネタをモノにするためのしつこさがあれば生き残っていける.それに対応できるだけのスタッフ,執念深いメンバを如何に確保するかが,これからの製品開発の鍵となりそうだ.

2013年5月24日金曜日

「㈱タックス」を見る

「たまの力 ~多摩ブルー・グリーン倶楽部会員企業のNEXT STAGE~」 の取材のために,平成25年5月24日(金)の午前は,東京都八王子市左入町にある 「株式会社タックス」 を訪問しました.以下,前回の投稿から引き続き,「である」調で書かせていただきます.

株式会社タックスは,1989年(平成元年)に操業開始.「TAX(税金)」 ではなく(笑),「TACS(タックス)」  という社名は,「Tokyo(東京)」「T」「Aluminium(アルミ)」「A」「Kanagata(金型)」「K」「Sekkei(設計)」「S」 から名付けられたものだそうだ.

 メーカーは,企画・設計した製品の仕上がりを,明確に把握してから製作に臨みたい.そして,一刻も早く量産に移りたい.そのための鍵となるのが,製品の雛形ともいえる 「試作品」 である.㈱タックスは,その試作品の製作を生業とする企業であり,その対象は,ヘリコプターの部品や船舶のモーターの部品,光学機器などの精密部品の他,日常的なものとしては,携帯電話や自動車部品など,実に幅広いものがある.創業当時は,NTTから民間に開放された電話機製造のための試作で忙しかったそうであるが,そのうち,同業者との差別化を図るために,樹脂製品だけではなく,アルミ製品の試作も試みるようになっていった.

初期の HONDA ASIMO の手の部品の試作は,一手に引き受けていたそうだ.

 タックスが採用している 「アルミ精密鋳造・真空注型方式」 は,切削加工や砂型を利用した鋳造による方式と比較して,製作日数やコストの削減という大きな利点がある.ユーザーからの仕様変更やリピート生産の要請にも,迅速に対応することができる.

 真空注型は,樹脂製の試作品を製作するときに用いられる.まず,何らかの方法でマスターモデルを用意し,その周囲にシリコンゴムを注入して主型を作る.そして,シリコンの主型の中を真空減圧し,その中に熱硬化性樹脂を流しこんで乾燥炉に入れ,樹脂を硬化させて成形品を作る.型の隅々まで樹脂が行き渡るため,アンダーカット部を持つなど複雑な形状も成形することができる.出来上がる複製品は非常に精度が高く,金型と比較しても,短期間かつ低コストで複製品を製作することが可能であり,半量産品にも対応できる.

 アルミ精密鋳造は,まず,①マスターモデルを用意して,②シリコンに形状転写した後,③その型に再度シリコンを流しこんで反転型を作り,さらに,④その反転型を石膏で作る.そして,⑤その石膏型にアルミを流しこんで真空減圧することにより,⑥肌面が綺麗で精密なアルミ製の鋳物を得ることができる.最近では,①の工程を省いて,③の反転型を作るために必要となる,②の型の形からマスターモデルにするのが一般的だそうだ.これは①のマスターモデルの反転形状を簡単に作成できる3次元CADの力が大きい.
左の二つは,①の工程を省いて作成された,②反転型のマスターモデル
②の型にシリコンを流し込んで作った③反転型
③の型に石膏を流し込んで作った④反転型
④の石膏型にアルミを流しこみ,真空注型で成形した部品
真空注型機

これからの試作に求められるのは,寸法精度や面粗度だけでなく,限りなく製品と同じ材料を使い,限りなく製品と同じ方法で成形され,重さや強度などの点でも,限りなく製品と同じ性能であるということだそうだ.そうでなければ,部品の性能を確認するための試験に対応できない.これは,最近もてはやされている3Dプリンタによって成形された試作品とは,かけ離れた世界である.3Dプリンタによる造形の欠点は,成形時間,製品の強度,樹脂の値段などの運用コスト… うーむ,まったくもって,話にならない… せいぜい,パーソナルな玩具を作って楽しむ程度であろう.試作屋としては,3Dプリンタを利用した成形技術には期待しているということであったが,タックスで行われている試作は,まだまだ製造業の第一線で活躍することになるであろう.

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