2010年9月11日土曜日

2010型技術ワークショップ第2回実行委員会

に出席するために,今日の午後はJR宇都宮駅から歩いて25分のところにある栃木県庁の昭和館に行ってきました.
 この実行委員会は,今年の11月17日(水),18日(木)に宇都宮の栃木県総合文化センターで開催される「型技術ワークショップ2010 in 宇都宮」のためのものです.今回の委員会は第2回となってはいますが,プレや中間の委員会もあったため,実は既に今日で4回目なのです.私は,昨年に委員就任を引き受けたにもかかわらず,実行委員会に出席するのは今回が初めてという体たらくです.開催日が迫っているため会の骨子は既に固まっているという状態で,私の出る幕はほとんどありませんでした.申し訳ない気持ちでいっぱいです.
 今回のワークショップは,ホンダエンジニアリングの方を委員長に,企業の方が中心となって企画を進めてきています.通常業務の合間に,このような大きなイベントを企画するのは大変だったと推察します.本当に頭が下がります.これまでサボってきた私としては,これからできることを最大限協力していくしかありません.
 委員会のあとで開催された懇親会では,久しぶりにふぐ料理を食しました.まだ,ふぐの季節ではありませんが,これまでに食べたふぐ料理の中でも5本の指に入るぐらいのうまさでした.2次会では宇都宮の名物ということでライトカクテルをひっかけて,完全な飲み過ぎ状態で帰京しました.




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2010年9月9日木曜日

さらば,GN107(3)

 今日,一昨日から話題にしてきた研究室所有のマシニングセンタGN107が学科実験実習工場から消えました.
 昨年からの撤去の話が現実のものとなり,存続するために何らかの仕組み作りができないか模索してきましたが,私の研究室の都合だけではどうにもなりませんでした.このような結末になってしまった経緯については,色々と言いたいことがあるのですが,不特定多数の人に見られる可能性のあるブログやツイッターなどの媒体を通じて,個人や組織を批判するという人の道に外れるようなことはできません.ここに,ものづくりはありません.
 すべてのカバーを外されて,裸のような姿でトラックに乗せられたGN107を見上げているうちに,十分に活躍する機会を与えられなかった自分自身に腹が立ち,今更ながら申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました.
 GN107に関わった成果としては,日本語の論文が12編と,英語の論文とプロシーディングが16編,合計28編の論文をあげることができます.そのうちのいくつかの論文は,論文賞や奨励賞をいただきました.この機械には,本当に世話になりました.今後,他の工場で使われる可能性もあるということですが,不遇であった電通大での15年間を取り戻すぐらい活躍する場があることを願うばかりです.
 しかし,まだ同じフロアにGN107と同じ牧野フライス製作所製の横形マシニングセンタA55が残っています.この工作機械も,とても十分に活用されていると言える状態ではありませんが,私の研究室だけでも毎週使うぐらいの仕組み作りを真剣に検討しようと決意しました.
 そういえば,実験室にも眠っている5軸制御加工機がありました.私だけの話ですが,大学というところは本当にぬるいですね.

2010年9月8日水曜日

さらば,GN107(2)

 昨日から話題にしている研究室所有のマシニングセンタGN107の撤去,本日より専門の業者の方が来て,本格的な作業が始まりました.日本海側から上陸した台風9号の影響で,朝から雨が降っていました.本当に久しぶりの本格的な雨で,人間としては喜ばしいことなのですが,機械の搬出時に雨は大敵です.基板やモータが水をかんだら,動かなくなってしまう恐れがあります.しかし,今日はカバーや切りくず処理装置など濡れても問題にならない部品を取り外して搬出するのが主な仕事だったようで,あまり雨の影響はありませんでした.
 今回の撤去作業では,機械の下の床がどのような状態になっているかを,一番心配していました.これぐらい大きな機械になると,搬入時の組み立て誤差や,使用しているうちに生じたガタつきなどで機械のあちこちに隙間が生じ,そこからクーラントや潤滑油が漏れて,溜まった液体が機械の下から流れ出してくることがあります.これまではおがくずなどで堤防を作り,流れ出てこないようにごまかしてきましたが,機械をどかすと先送りしてきた問題が白日のもとにさらされることになります.幸い,想像していたよりも汚れはひどくなく,普通に掃除するだけでよさそうです.
 夕方からの会議が終わり,19時ぐらいに工場に行ってみると,すでに業者の人は撤収していて,カバーの2/3が外された状態の機械がありました.カバーを外した状態だと,ベットとコラムの構造本体に,主軸頭やテーブルなどの主要運動要素がガイドなどで案内されて,ボールねじとサーボモータで動くようになっていることがよく分かります.しかし,カバーを外した機械はずいぶん小さく見えて,なんだか寂しくなってしまいました.
 今機械が置かれている区画は,重量のある機械を設置できるように基礎がうってあるところです.撤去した後は,現在通路部分に置かれている汎用機を設置することになっています.現在,1階で汎用フライスを利用している人は,だいぶ作業しやすくなるでしょう.

2010年9月7日火曜日

さらば,GN107(1)

 明日から2日間をかけて,学科実験実習工場の1階にある牧野フライス製作所製6軸制御大型マシニングセンタGN107-A30を廃棄することになりました.
 本学では鋼材の同時5軸制御加工ができる唯一の工作機械でした.主軸を位置決め軸とすることが可能で,非回転工具の位置・姿勢を制御した同時6軸制御加工が可能です.定価では,総額で一億円をかるく超えていたと思われます.
 しかし,ここ数年は研究室でも利用頻度が激減していました.理由は様々ですが,一番の原因は,最近の専用5軸制御マシニングセンタと比較して,精度や速度などの機械的な性能が,話にならないほど低くなってしまったことがあげられます.また,最近の5軸制御マシニングセンタのNC装置は,工具先端点制御という機能を具備しているのが当たり前なのですが,この機械に搭載されているNC装置は,この工具先端点制御に対応することができません.つまり,研究室の研究で加工の精度や効率を考慮して,どんなによい5軸制御加工用工具経路を生成しても,この機械ではそれを証明することができないということです.
 さらに追い打ちをかけるように,今年度より機械を設置しているスペースが課金されることになり,機械を使わないで置いているだけでも年間15万円,学科に支払わなくてはならなくなりました.もちろん,バリバリ使ってガンガン成果を出しているのならば大した出費ではないのですが,1年間で数週間という稼働率では,維持費やメンテナンスの手間などを考えれば,あまりうまくありません.関東にある工作機械メーカーにお願いして,最新の機械を使わせてもらった方がよいだろうという結論に至りました.
 今日は,明日からの作業の下準備ということで,研究室総出で水溶性クーラントの回収作業を行いました.最近,ほとんど使っていなかった上に,メンテナンスもすっかりサボっていたため,クーラントはすっかりヘドロ化して悪臭を放っていました.回収作業は大変な苦痛を伴いましたが,学生たちの献身的な協力のおかげで,20リットルのポリタンクで20個ちかいクーラントを2時間で回収することができました.
 明日からは専門の業者がやって来て,本格的な撤去作業が始まります.明後日までの2日間,工場1階にある機械は利用することができなくなります.学内の利用者の皆様には大変ご迷惑をおかけすることになりますが,ご理解,ご協力のほど,よろしくお願いいたします.

2010年9月5日日曜日

永遠の0

という文庫本を,昨日一日かけて読みきりました.一日で本一冊を読みきるというのは本当に久しぶりです.作品の面白さというより,取り上げているテーマが私に合っていたのでしょう.
 作品の内容については,解説の文章を引用しながら説明すると,ある姉弟が特攻で戦死したと伝え聞いている自分達の祖父の謎の人物像を,祖父の戦友たちの証言によってつまびらかにしつつ,太平洋戦争の実情,兵の命を軽んじ,作戦の失敗の責任もとらないエリート将校たちの夜郎自大さを鋭く暴きながら,予想外のクライマックスを迎えるというものです.
 太平洋戦争史について詳しく解説する文章が随所にありましたが,私は小学生の頃から太平洋戦争に関係する書籍を積極的に読んできたので,新たな知識は一割程度でした.しかし,太平洋戦争に関する本を読んだのは久しぶりだったので,よい復習になったと思っています.太平洋戦争のことをあまり知らないという人は,大まかな知識を得るという目的だけでも,この本を読む価値はあると思います.太平洋戦争を勉強すると,人間や組織としての反面教師をたくさん知ることになります.現在起こっている人間や組織の問題を見ると 「この人たちは過去に起こった戦争のことを,まったく勉強していないのだろうな」 と感じることがあります.

 今の学生は,太平洋戦争史なんて知らない人が多いのでしょうね.真珠湾攻撃やミッドウェー海戦ぐらいは知っているのでしょうか.正直,疑問です.昔,研究室のある学生が終戦の日なんか知らないというので,「平和をうんぬん言いたいなら戦争のことを知らないとダメだ」 と説諭したところ,「先生は戦争の知識がないと平和を語れないのですか.戦争のことを知らなくても平和が大事だと言うことは,誰でも理解できます」 と食ってかかられたことがあります.戦争が起こった原因や経緯を知らずに,どうやって戦争を防ぐことができるのでしょう.このとき,もう日本はダメだと思いました.

 話がそれました.どうも最近,愚痴っぽくていけません.特攻の話になると,私は普通ではいられなくなるのです.今回も,作品の内容で泣くということはありませんでしが,特攻に関係する子供の頃の記憶を思い出して,泣かずにはいられませんでした.

 私が小学生の時,母方の親戚一同で鹿児島の知覧特攻平和会館に行ったことがあります.知覧特攻平和会館の詳細については,次の観光案内のコンテンツをご覧ください ⇒「鹿児島県南九州市
 ビデオコーナーには,それまで見たことのなかった特攻隊の出撃から突入までの映像が流されていました.敵艦に突っ込む特攻機.きりもみで墜落していく特攻機.空中で爆散する特攻機.一緒に見ていた父が言いました.

 「全部,人が乗っているんだぞ」
 「 … 」
 「無念だったろうなぁ」


 特攻隊員の写真・遺書・絶筆が,たくさん展示してあるコーナーがありました.一緒に見ていた母が言いました.

 「みんなきれいな字だね」
 「 … 」
 「普通の人には書けないね」


 子供の頃の記憶は次第に薄れていくものですが,このときの記憶は薄れることはありません.特攻では何千人という人が犠牲になりましたが,それらの人たちが生きていれば,戦後は十二分に活躍されて,今の日本はもっといい国になっていたに違いありません.我々には,このような愚かな作戦が行われてしまったという事実やその理由を理解し,確実に後世に伝えていく義務があると思います.

 私にここまで書かせるきっかけとなった「永遠の0」,やはり名作なのかもしれません.

ツイッターオフ会 in ミナロ

 今日の夕方,「日本に新しい産業を!食糧自給率、エネルギー自給率共に120%にしたいぜよ。」とおっしゃっている方の会社の納涼祭に参加するために,神奈川県の金沢八景に行って来ました.電車に乗っているだけで2時間,やはり遠いですね.主催者の社長さん,最近,鎖骨を骨折されて,今日は少し痛々しい様子でした.
 この納涼祭,ツイッターで相互フォローしいる中小企業の方がたくさん参加されていて,自分にとってはこれまでで最大のオフ会となりました.これまでに一度しか会ったことのない方とは,じっくりお話しできましたし,それらの方々を通じて,新しい出会いもたくさんありました.これからツイッターを始めようという方もいらっしゃいました.女性だと思っていたフォロワーが男性だと知ってがっかりしたり,その逆もあってうれしかったり,ツイッターならではの悲喜劇もありました.
 リアルに会った方とのツイートは安心ですし,充実します.また,ツイッターでつぶやきあうよりは,本人と直接対話した方が何倍も楽しいです.このようなすばらしい機会を与えていただいた緑川社長に心より御礼申し上げます.
 私にとって,出会いは財産です.皆様,今後ともよろしくお願いいたします.