2012年1月11日水曜日

自分のために学ぶ

そろそろ,学生が卒論や修論を書き始める時期となりました.朝から晩まで,学生の原稿にアカを入れる日々が続きます.今月末ぐらいからは,土日の自宅でも赤ペンを振るうことになるでしょう.昨日あたりからポツポツと添削依頼が来るようになったので,今日は朝からチェックしていました.

 学生には悪いですが,学生が私に最初に見せてくる文章には,かなり酷いものがあります.何故こんな文章を書いて来るのか? こんな文章を人に見せて平気なのか? 評価してもらおうという気持ちはあるのか? 怒りを感じることさえあります.

 しかし最近,これは仕方のないことなのだと思うようになりました.彼らに悪気などはなく,単に適切な文章を知らないだけなのです.知らない文章を書けといっても,それは無理な話です.就活や院試に対応しながら,与えられた作業的な課題をこなすのに精一杯という状態では,専門書を読んで専門的な文章を学ぶような余裕は無かったかもしれません.しかし,研究室に配属される前の就職活動で,いったいどんな文章を書いていたのだろうと考えると,本当に恐ろしくなります.おそらく,文章が原因で落選したことも多かったのではないでしょうか.

 文章に限った話ではありません.無知であったことは仕方のないことなのかも知れませんが,そのことが当人の不利益にしかならないのは間違いのないことです.そして,その責任は他でもない,必要になることを学んでこなかった当人自身にあるのです.「そんなこと教わっていない.教えない方が悪い」 確かにそうかもしれません.しかし,力不足の自分が存在するという事実は消えません.「私が力不足なのは,私の責任ではありません」 なんて言い訳が通用するハズがありません.そんな人間を助けられるほど,今の社会に余裕はないと思います.

 学校で教わることなんて,本当に僅かなものです.教わったことをきっかけに,さらに多くのことを,自ら学び取る前向きな姿勢が不可欠だと思います.こんなことを言っている私自身も,学生時代にもっと勉強できたハズだと反省しているのです.学び続けることは,人間の使命だと思っています.

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