2013年11月14日木曜日

人にケリをつけるということ

 以前,芦田宏直先生の著作について,レビューを投稿したことがあります⇒「m-shige's log: 努力する人間になってはいけない」.この時は,タイトルのインパクトが強いのに配慮が足りず,本の内容を知らない人に対して,色々と誤解をさせてしまいました.申し訳なく思っています.

 その後,なんとか読了しましたが,後半は哲学的な内容でとっても難しく,一度では理解できそうもありませんでした.しかし,芦田先生もこの本の中で,「本を読める人はわからないことを恐れない人」 とおっしゃっていますから,ここはこの言葉に甘えて,気にしないことにしたいと思っています(笑)

 色々と考えさせられることが多かった本ですが,一番印象に残ったのは,補導されたご子息に説諭された,人を見切るという行為に対する考えです.

「悪いことに順位なんかないのよ。悪いことなんて本当はどうでもよくて、こいつ俺とは違うな、と思われたらもう終わりなのよ。何も言わない友達は、『こいつ何だよ』とあなたにすでにケリをつけているのよ。(中略)そういった“ケリ”は、法律の罪よりも遥かに重いのよ。」

 本当に,本当に,そのとおりだと思いました.正直,私自身も,色々な人にケリをつけていると思います.ケリをつけないと,その人のために何かしようと考えることが出来ず,そう考えている自分が辛いからです.

 だからといって,学生にケリつけることがあるかというと,これまでにそんなことはありませんでしたし,これからもないと断言できます.学生が未熟なのは当然であって,未熟であることを理由にケリをつけられるいわれはないからです.出来ないことは仕方ないが,やらないことは許せない,方針はそれだけです.

 こんなことを言いながら,私自身も,色々な人にケリをつけられていると思います.能力不足でケリをつけられるのはともかく,人間性でケリをつけらることがないようにしたいものです.私自身,能力で人にケリをつけたことはありませんので.

0 件のコメント: