2018年2月17日土曜日

向き合うということ。

 私はラグビーファンでもあります,同世代の人達としては,早稲田と明治の大学選手権は手に汗握る一番だったのではないでしょうか? 自分としては物足りない自分の力量と重ね合わせるように,早稲田の選手を応援したものです.帝京一色の現状については,何も感じることができません,旧人類?となってしまった自分を遺憾に思っている次第です.

 当時の早稲田と言えば 「接近,展開,連続」,継続性を重視した戦略でした.弱い時の早稲田には,ずいぶん歯がゆい思いをしたことも否めません.とにかく横に展開するという戦略では前に進めない,むしろ後ろに下がっているという場面にも数多く遭遇しました. 確かに動いているという実感はあるのかもしれませんが,そんなことに時間を費やして良いものでしょうか? 成果はゼロですよね? 一番怖いのは,動いているということだけに感動して,成果を意識しなくなってしまうことではないでしょうか?

 研究も同じだと思います.学科・専攻の選考基準と比較する,それを超える,それが正しい選択でしょうか? ラグビーと同様,自分を超える的な選択は出来ないものでしょうか? 少なくとも自分は,そのような対外的な基準と向き合うようにしてきたつもりです.しかし,その様な感情が年を重ねるにつれて薄まっていくような気がしていることも事実です.現状の立場に影響されないような客観的な基準を持ち続けたいと強く思っています.

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